「自分を大切にして!」と言われても、大切にされた経験のない子は、自分を大切にすることはわからないとある本で読んだことがあります。

その中で、「大切に思っている」と言葉で言われるよりも、手作りのご飯と暖かい食卓から『自分は愛されている、大切にされている』と感じることができるといった趣旨の言葉がありましたが、思い出したのは大人になってようやく実感した、お母さんの作るゴハンには、すごい力があったということです。

お母さんの作るゴハンの力

子どもは子どもの世界でやるべきことをやり、悩み、考えているもの。

親としては心配が尽きないでしょうが、自分が子どもだった頃を思い返してみて下さい。

言葉をかけられても意図がわからず心に届かなかったり、わかっていても言葉にされたことで頭にきたり、ちょっとした言葉がきっかけでギクシャクしてしまったりなど、愛情のこもった言葉をかけられたのに反発してしまうということが多々あったはずです。

成長につれ、自分なりの考えがしっかりしていき、両者の意見に齟齬をきたすことが増えてきます。

幼いときには抱っこ、服の着替え、手をつないだりなどを通じでスキンシップをとることは多いですが、成長するにつれ自分でできるようになるほど言葉で伝えるしかなくなります。

親としては子供のことが心配で、愛情のこもった言葉をかけたつもりなのに、そうは受け取ってくれない時期は必ず訪れます。

そんなときでも、お母さんが一生懸命作る料理、お弁当、食卓を通じて、家族から無言の愛情を伝え続けたのが、お母さんの作るゴハンの力だった気がします。それは、押しつけがましくなく、成長するほど心にしみてくる愛情であり、自分は大切にされていたんだと思わせてくれた根っこの部分です。

母の無言の愛情

私自身、思春期時代も親から「早く帰ってきなさい。」といわれた記憶がありません。

ただ、お母さんは毎日ほぼ同じ時間に夕飯の準備をしてくれていましたので、親に言われなくても自然と夕飯の時間には間に合うように帰っていました。父は仕事でいないこともありましたが、家族そろって食卓を囲む日常が当たり前にありました。

 

「早く帰ってきなさい。」

「ちゃんと●●しなさい。」

ではなく、ただ私が好きなものをせっせと作ってくれ、当たり前のように食べる。そして、日常生活が続いていく。当たり前にある時間がとても大切で、言葉ではなく好きなゴハンで『頑張れのエール』を送ってくれていたんだなぁと思い返します。

食育の根本にあるべきこと

昨今、食育というと栄養など学術的なことになり、資格まで出てきました。それも大切ですが、定時にゴハンの時間をつくり、家族をつなぐ時間を設け、手作りのご飯を食べてもらうことがベースにあって欲しいです。

いざ育児がスタートすると、目の前のことでいっぱいいっぱいになります。

時間が欲しいということで子供に愛情を伝える行動など簡単に出来るテクニックなどに頼りたくもなります。しかし、それでは伝えられない年代になった時のつながるきっかけがなくなります。

そんなとき、家族をつなぐ食卓があれば、言葉で愛情を伝えるよりも効果が大きいと感じます。

毎日毎日準備する食事は大変で、作るのが嫌になるときもあるけれど、食事が私と家族をつなげてくれていると思えば、なんだか楽しくなり、ワクワクしてきて、ゴハンの思い出を残してあげたいと思えてきます。

我が家はまだ幼児ですが、いつまでも子どもと思っていた我が子もいつかは進路や受験勉強の不安だけでなく、お友達・彼氏・彼女といった人間関係の悩みなどを抱えていくのでしょう。

そんなときでも、食を通じて、子供に自分は大切にされていると感じていて欲しいです。

大人にならないとわからないけれどね。